2015年05月11日

失敗しない子育て・・・2「子供は神様からの預かりもの」」

連休は、子供たちが家を出てから初めてどちらも帰省しないという、結婚以来初めての夫婦水入らずの連休でした。

おかげで2日は家内の同窓会について玉名まで小旅行に出かけ、7日は前からもう一度研修に行きたかった鹿児島の学習塾に、夫婦して研修に行ってきました。

以前は休みになると尻にほかけて帰省していた子供たちが、いくら用があるとは言え、帰ってこられないこともないのに帰ってこないという状況に、たくましくなったなあと思う反面、一抹の寂しさも感じています。

さて、わたしは大学を卒業して小学校の教員になって15年、学習塾を始めて17年が経ちました。その間たくさんの生徒さん方と接してきました。その中で、とても才能がありながら、その才能を生かせず挫折していく子供たちを少なからず見てきました。そしてその子供たちに共通しているのは、保護者の方の偏った考え方やお子さんに対する間違った愛情だったように思います。

人の親として、自分の子供が可愛いのは誰しも同じです。みんな自分の子供に幸せになって欲しいと願っています。ただ何が子供の幸せか、少し思い違いをしている方が少なくありません。ある人は、自分の子供にどうしても医者になって欲しいと一所懸命でした。なぜ医者かというと、一番経済的に安定している職業だと思っておられるからのようでした。しかしそのお子さんは、まったく医師という職業に興味がなく、次第に勉強に対して意欲がなくなってしまいました。

またある人は、自分の子供にどうしても難関高校に行って欲しいと毎日塾通い。それも週末は遠方の塾に泊りがけで出かけてました。努力の甲斐があって、無事その難関高校に合格しましたが、その子はそこで燃え尽き、高校に入ってから全く勉強しなくなりました。

このような保護者の方たちは、一体何を間違われたのでしょうか?お子さんを想う気持ちに嘘偽りはなかったはずです。それなのにお子さんの才能を生かせず、挫折させてしまったのは、多分それがお子さんの本当の希望ではなかったからだと思われます。

うちは、子供が物心ついてからは、すべてのことで決定は自分自身にさせていました。勉強の仕方は教える。でも勉強するかしないかは自分で決める。学校の宿題は、わたしは必要ないという方針でしたので、その旨子供たちに伝えましたが、上の子はそれにしたがい宿題は一切しませんでした。下の子は、揉め事が嫌いだったのか、渋々やっていたようです。

親として、助言はするけど決定権は常に子供に持たせていました。ですから下の子が現役の時受験した全ての大学に不合格をもらったとき、一言の弁解もせず、それまでの自分を反省し、一浪して夢を実現させました。

わたしは子供は「授かりもの」ではなく「預かりもの」であると思っています。世の中の役に立つ人間に育てろと、神様からお預かりしていると思っています。子供が出来たとき家内にもそう話して夫婦でそのように育ててきました。

さらにもう1つ耳の痛い話をさせてもらいますが、例えば「医者になって欲しい。」とか「いい学校に行って欲しい。」というのは本当に子供の事を思ってのことか、ひょっとして自分の見栄のためではないか、ちょっと立ち止まって考えて欲しいのです。偉そうに言いますが、私自身も自分の見栄のために子供に東大に行って欲しいと頭をかすめたことがあります。誰もが持ちやすい感情ではあります。ですから、自分の子供に何かしら希望を持つときは、それは本当に子供のためなのか、ひょっとして自分の見栄のためではないか、ちょっと考えて欲しいのです。

子供は、それが本当に自分のことを思ってやってくれることは、多少無茶であっても納得します。しかしその奥に親の見栄が見え隠れすると、途端に不機嫌になり、やる気を失う場合が少なくありません。

わたしは人間の幸せとは、だれかの役に立ち、やりがいのある人生を送ることだと思っています。けっしてお金持ちになることでも地位を得ることでもないと思っています。子供は神様からの預かりもの。大切に育てて社会にお返ししたいと思っています。
  

Posted by ひげの元塾長 at 20:32Comments(2)子育て論